京に坂本龍馬を訪ねて@

中書島〜伏見奉行所

伏見は船宿寺田屋をはじめ龍馬縁の地があります。
寺田やは後に妻になるお龍と知り合ったところ
また鳥羽伏見の戦いの地でもあります。

中書島→寺田屋→京橋→大黒寺→薩摩藩屋敷→御香宮→伏見奉行所

→今回のルートマップ←



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7:50 京阪中書島駅
駅前に大きな道標
長建寺、寺田屋、大黒寺までの距離

裏面には「三宅安兵衛」の名
本当にたくさんの道標を立ててますね
長建寺です。 大きな鐘がありました。
往時、三十石舟に時を知らせました。
この大きな塀は大蔵酒造
見学、試飲もできますよ♪
川には十石舟が運行されています。
8:00 寺田屋 坂本龍馬の定宿。
@寺田屋騒動
薩摩藩の尊皇派が薩摩藩よって
粛清された事件
A坂本龍馬を伏見奉行所の役人が
暗殺しようとした事件。
お龍は風呂から裸のまま
危機を知らせた。
船着場寺田屋浜の碑
右奥が京橋の船着場

寺田屋は船宿
龍馬もこの浜から舟に乗って
大坂へ下ったのでしょう
右の橋が「京橋」
左奥に見えるのが京橋の船着場
この橋を渡り、京へ向かうのでしょう
京へ、大坂へ、山城へ、宇治へ、
正に舟運の中心地
橋の袂には
「伏見口の戦い激戦地跡」の碑
龍馬の死後、大政奉還後、
鳥羽伏見の戦いです。
龍馬通り
朝早いので店は開いてませんが、
土産物や食堂なども並ぶ商店街
黄桜酒造
ここも見学・試飲ができます♪
大黒寺 薩摩藩の祈祷所
薩摩寺とも呼ばれます。
「伏見寺田屋九烈士の墓」
があります。
寺田屋での同士討ち『寺田屋騒動』で
上意討や切腹で亡くなった有馬新七
以下の九烈士の墓です。
伏見社会福祉事務所にある道標
「南 右京大津みち」
「東 左りふねのり場」
薩摩藩屋敷の碑
「江戸時代薩摩島津伏見屋敷跡」
篤姫(天璋院)も泊まっています。
寺田屋事件で重傷を負った龍馬も
ここに担ぎ込まれています。
8:40 御香宮です。 伏見の名水、御香水です。
いつも誰か水を汲んでいます。
武田街道の車石
牛車の道で轍になっています。
単線なので午前は上り、午後は下り
の一方通行でした。車道(車石の道)
は人や馬の通る道より一段低い
ところにあり、梅雨や台風の季節
には川のようになりました。
鳥羽街道にも車石はありました。
横のある道標
「南 右 上醍醐黄檗道
   左 大坂舟のり場」
「東 右 京大津道 左 奈良宇治」
「北 発起 山城屋弥兵衛」
「明治維新 伏見の戦跡」の碑
戊辰戦争の際、ここ御香宮は
薩摩藩・長州藩を中心とする
官軍の陣でした。

百数十m先の伏見奉行所に新撰組・
会津藩率いる幕府軍が陣を張りま
した。
「伏見奉行所跡」の碑
ここに新撰組・会津藩の陣があり、
官軍と激戦を繰り広げました。
今は、桃陵団地になっています。
桃陵団地の壁や塀は木目調に
配慮されています。
桃陵団地の歴史の解説板や
「伏見工兵第十六大隊跡」の碑
などが入り口にあります。

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