京に坂本龍馬を訪ねてC

金戒光明寺〜淀

坂本龍馬は薩摩藩邸に西郷隆盛を訪ねて、
長州藩邸に桂小五郎を訪ねて何度も通ったでしょう
薩長同盟を成立させ大政奉還を実現させました。
徳川慶喜は二条城で大政奉還をします。
壬生浪と呼ばれた新撰組の誕生の地、壬生。
鳥羽伏見の戦いの地、鳥羽街道を下ります。

金戒光明寺→下鴨神社→薩摩藩邸→蛤御門→水戸藩邸→
京都所司代→二条城→福井藩邸→壬生寺→島原→小枝橋→淀

→今回のルートマップ←



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南面「右 くろたに」
東面「左 ちおんゐん」
北面「右 北野天満宮」
こちらが「くろ谷さん」
「金戒光明寺」
会津藩京都守護職の本陣
藩主松平容保(かたもり)は
公武合体派
新撰組は容保により「会津藩預かり」
13:20 下鴨神社 世界遺産です。
幕末、孝明天皇は将軍家茂に供奉させて下鴨神社で攘夷祈願をしました。
さらに石清水八幡宮でも攘夷祈願を行いましたが、家茂は仮病を使い逃げ、
徳川慶喜が代理供奉、しかし、慶喜も腹痛を訴えて、逃げました。
『薩摩藩邸跡』の碑
場所は同志社大学
そう、今日はセンター試験の日
13:50 京都御所「蛤御門」
元治元年、蛤御門の変(禁門の変)
京を追放されていた尊皇攘夷論の
長州藩が御所へ詰めかけたが桑名・
会津・薩摩の幕軍に蛤御門で破れた
『水戸藩邸跡』の碑
水戸藩は徳川御三家の1つ。
幕末、尊王攘夷と佐幕に分かれた
水戸学は尊皇攘夷運動に強い影響
を与えた
「天狗党」は,水戸藩の尊王攘夷派
の呼び名
『京都所司代跡』の碑。  旧待賢小学校一帯が跡地です。
皇室・公家の監視、京の役人の統率、町方の取り締まりなどを行う。
14:20 二条城
徳川幕府における京都の拠点です。
家康の将軍宣下と
慶喜の大政奉還が行われました。
福井藩邸跡
京都国際ホテルの敷地にあります
幕末の藩主は松平春嶽(慶永)
公武合体を推進
戊辰戦争時は徳川家擁護に尽力
明治政府でも重職を歴任
14:40 新撰組 屯所 旧前川邸
古高俊太郎が拷問をうけたのは
前川家の土蔵です
山南敬助は前川家で切腹させられま
した 介錯は沖田総司
新撰組 屯所 八木邸
江戸から上洛した浪士隊の内、
八木家を宿所にしていた芹澤鴨、
近藤勇ら13名が京に残り新撰組と
なりました。芹澤鴨は近藤勇らに
八木家で粛清されました。
壬生寺
境内で新撰組が軍事訓練をしていた
近藤勇の銅像や、
新撰組隊士の墓、壬生塚もあります
15:00 花街 島原 「角屋」
「久坂玄瑞の密議の角屋」の碑も
あります 新撰組も遊びました
こちらは「輪違屋」
揚屋と置屋を兼ねた現役の店です
山南敬助、伊東甲子太郎、平間重助
らも良く通ったとか
帰りは鳥羽街道を下ります
15:50 小枝橋付近
この辺りで鳥羽伏見の戦いが開戦
幕府軍、見回組・会津・桑名の
各藩兵を中心に1万5千人
迎え撃つ薩摩軍は800人
薩摩の大砲隊に負け敗走
鳥羽の造り酒屋 増田徳兵衛商店
「月の桂」の醸造元です
16:35
本日のゴール淀駅
京都競馬場が見えます

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